769年に起きた、宇佐八幡宮の神託事件は、時の称徳天皇に宇佐八幡神の神託として
が奏上された事から始まります。
天皇は、神託の真否を確認するために、和気清麻呂を召しだし勅使として宇佐八幡宮に向かわせます。
権力を掌握していた道鏡に異を唱える者は、死を覚悟するものでした。
「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし」
というものでした。
自らの命をかえりみずに皇室の系統守ったのです。
この後、道鏡が失脚すると清麻呂は従五位下に任官し官界に復帰します。
桓武天皇が即位し平安京遷都があり平安時代になると、清麻呂の官位も上がり政府の高官として、土木事業に大活躍をします。
日本国の皇室の系統を身を持って守ったことで、日本史上日本国の忠臣として称えられています。
和気清麻呂(わけのきよまろ)
733~799年 享年66
東京の皇居大手濠に銅像が設置されています。