西暦572年、31代用明天皇の第二皇子として生まれた厩戸皇子は、後に33代推古天皇の摂政となります。
日本書記に”冠位十二階”と”十七条憲法”を定めたとあり、仏教を興隆させたとあります。
603年に制定された”冠位十二階”は、身分を家柄でなく個人の能力で制定するといった当時では、画期的な制度でした。
また、604年に制定した”十七条憲法”は、政治は天皇を中心に行われるという、その後の日本の政治精神の基になったものでした。
また、社会福祉事業として四箇院の制度を実施も行っています。
厩戸皇子の業績として、仏教の興隆は大きなものです。
中国の隋王朝に小野妹子などの遣隋使を送ることで、仏教思想ばかりではなく、大陸の新知識を多く取り入れました。
これらの事柄から、当時の飛鳥文化も花開き日本国の新しい礎が定まったと言えるでしょう。
四十九歳でなくなった後、生前の業績を想い、”徳のある聖人” として聖徳太子と呼ばれるようになりました。
聖徳太子(しょうとくたいし)
厩戸王(うまやとおう) 574~622年 享年49