645年7月10日にそれまで政治を専横していた蘇我入鹿を母の皇極天皇の御前にて、自らの刃で殺害し、それに伴い蘇我本宗家をも滅ぼしました。
これを乙巳の変を言います。
蘇我氏を滅ぼした後も自ら天皇の位には就かず、皇
太子として、ともに蘇我氏を滅ぼした中臣鎌足と政治の改革を行います。
これが「大化の改新」です。
663年に大陸に派兵した、白村江の戦いに大敗を喫します。
その後、667年に近江大津宮に遷都し668年には、天皇の位に即位しました。
戸籍の作成(庚午年籍)や近江令の制定など中央集権国家体制を進めましたが、天皇即位後4年で崩御しました。
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)
626~671年 享年46