鑑真は、唐の高僧です。
仏教では、新たに僧尼になるには、戒律を尊守することを誓わなければなりません。
この儀式を「受戒伝律」と言い高僧によって執り行われます。
「受戒伝律」とは、僧 になるためには、僧による受戒が必要とする制度で、当時納税義務を免れる目的で、僧になる庶民が増大してきたことへの取締りにもなりました。
733年日本政府は、唐に2人の僧、栄叡と普照を派遣します。
目的は、国内に「授戒伝律」の制度を確立するために仏教の先進国である唐に教えを請うためでした。
唐に渡った2人の僧は、9年の流浪を重ね、名僧、鑑真に出会います。
日本への渡航を懇願すると、鑑真は「これ仏法の為なり、なんぞ命惜しからむ」と渡航を決意します。
しかし、鑑真の弟子たちや唐の高官が日本への渡航を阻みます。
何度かの渡航失敗の後、5回目の決行の時は暴風雨に阻まれ海南島に漂着し、1年間も滞在を余儀なくされてしまいます。
ついに鑑真は、失明してしまいます。
それでも、渡航を決意し、挑戦6回目で薩摩に入国しました。
最初の決意から11年目の事です。
754年、平城京の東大寺大仏殿で鑑真は、聖武上皇以下440名に授戒しました。
その後、律宗の総本山の唐招提寺を創建し大和上の尊号を得、日本の仏教に多大な影響を与えました。
鑑真(がんじん)
688~763年 享年76