19歳のとき東大寺で受戒し僧となった最澄ですが、そのころの堕落した仏教から離れ比叡山に登って修行します。
10年余りにわたる 比叡山での修行により最澄が見出したのは、鑑真が伝えた天台の教え「人間は総てが成仏できる」と言う一乗思想でした。
804年、最澄38歳のとき、遣唐使船で唐に向かいます、同じ船には空海もいました。
唐に渡った最澄は、中国仏教の宗派である天台宗の教えを学び、翌年、天台山に登り多くの経典を得て帰国します。
日本に戻った最澄は、桓武天皇の庇護のもと、当時の主流宗派の奈良の南都六宗と並んで天台宗を開きます。
最澄の開いた天台宗比叡山延暦寺は、その後の日本仏教に多大な影響を与え続けます。
比叡山延暦で学んだ人たちの中には、後の日本仏教界を指導者が多く出ました。
浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮、等々各宗派の開祖も比叡山の出身です。