20歳のとき東大寺で受戒した空海は、804年遣唐使船で唐に向かいます、同じ船には最澄がいました。
唐に渡った空海は、長安の清龍寺で高僧恵果について真言密教を学びます。
唐より帰国した空海は、嵯峨天皇により高野山を下賜され、金剛峯寺(こんごうぶじ)を開山します。
日本の仏教は、最澄の天台宗と空海の真言宗により、旧来の奈良仏教から平安仏教へと変遷していきます。
空海は、全国への布教活動のかたわら、社会活動にも取り組み、灌漑用水の整備、庶民の教育施設の設立など多くの実績を残します。
死後、弘法大師の称号を贈られています。