清和源氏の嫡流として生まれた義家は、石清水八幡宮で元服をしたことから八幡太郎と称しました。
陸奥守の父頼義に従い、奥州安部氏との戦いに13歳で初陣します。
1051年に始まったこの戦いは、奥州安部氏と朝廷軍の全面的な戦争で、終始安部氏が優勢に経緯していました。
苦戦を強いられていた、頼義、義家親子は、出羽の清原氏に援助を頼み、1062年ようやく安部氏を平定します。
この役を前九年の役とよびます。
前九年の役から21年後、奥州の地に威を張っていた清原一族に内乱が起きます。
源氏の棟梁となっていた義家は、清原氏の内乱に介入し、清原家衡を出羽国金沢(かねさわ)で討ち取ります。
この役を後三年の役とよびます。
朝廷は、後三年の役は義家の私戦であるとし、何の恩賞も出しませんでした。
しかし、義家は自分に従って戦い抜いた東国の武士団に私財をなげうって恩賞として与え、源氏と東国武士団の絆を強固なものとしました。
後に平氏政権を破って鎌倉幕府を作り上げた、源頼朝と東国武士団の絆は、この時に出来たものとなります。
源義家(みなもとのよしいえ)
1039~1106年 享年68