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源氏の内紛により、都から東国へ移り育ちます。
東国へ下向した義朝は、鎌倉を中心に勢力をのばし、東国の豪族を傘下に納め強い基盤を持ちます。
1156年の保元の乱では、父の為義や弟の為朝と相対し後白河天皇方として平清盛とともに戦い勝利を得ました。
しかし、乱後、父や弟を処刑しなければならず、源氏の勢力を大きく失いました。
1160年には、後白河天皇、平清盛に対抗して平治の乱を起こしますが破れます。
東国に向けて逃避する途中、尾張国で家来の長田忠致に入浴中襲われ殺されてしまいます。
義朝の子の頼朝、義経が生き残り、その後の歴史を作ります。
源義朝(みなもとのよしとも)
1123~1160年 享年37