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武門の名流である、秀郷流藤原家に生まれ、朝廷の警護をする北面の武士として勤めていました。
俗名を佐藤義清(さとうのりきよ)といいます。
23歳のとき、突然、武士としての無常観を思い家も妻子も捨てて出家してしまいます。
出家後、嵯峨に草庵を結び、西行と称し、陸奥国や四国などへの旅を重ね、多くの和歌を残します。
63歳のとき、東大寺復興勧進の旅にでた西行は、鎌倉の地で将軍源頼朝に面会します。
世のことなどを教えられた頼朝は、黄金の置物を贈ります。
西行は、退出のさい、門前で遊ぶ子供たちに、黄金の置物を渡し立ち去ります。
願わくは
花の下にて春死なむ
そのきさらぎの望月のころ
こう読んだ西行は、生涯を諸行無常を常とし漂白の歌人として、望んだように桜の季節に亡くなりました。
西行の歌は、のちの世の言葉文化に大きな影響をもたらしたと言えるでしょう
西行(さいぎょう)
1118~1190年 享年73