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源義朝の弟で、武蔵国に勢力があった源義賢の次男として生まれます。
父が、義朝の子、為平に討たれると信濃の木曽に逃れ、豪族中原氏のもとで育ちます。
1180年に以仁王による平氏追討の令旨を受け取ると木曽の地で挙兵しました。
翌年、越後の豪族、城氏を打ち破り、1183年には、平氏の大軍を倶利伽羅峠で撃破し、北陸路から一気に京に攻め込み、平氏を追い払いました。
京に入った義仲は、後白河法皇と対立し、法住寺殿に攻め込んで源頼朝追討の院宣を無理やり出させてしまいます。
これに対し頼朝は、弟の範頼、義経に義仲討伐のため上洛させます。
両軍は、勢田・宇治で戦い、義仲は討ち死にします。
源義仲(木曽義仲)(きそよしなか)
1154~1184年 享年31