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天才的な軍事力の武将 源義経(みなもとのよしつね)

 

 

源義経(みなもとのよしつね)

 

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平安時代末期の武将で平治の乱で討ち取られた、源氏の棟梁源義朝の子です。


兄は、鎌倉幕府を開いた源頼朝になります。


平治の乱のとき、2歳の義経は母の常盤御前と共に平清盛に捕らわれます。


幼名を牛若丸といい、7歳で鞍馬寺に預けられましたが16歳のとき僧になることを拒否し奥州の藤原氏を頼って逃亡します。


奥州の藤原秀衡のもとで成長しますが、1180年、伊豆に流されていた兄頼朝が挙兵すると、ただちに馳せ参じます。


兄、頼朝の命により、京に進行し源義仲(木曽義仲)を討ち取り、その後は、一の谷、屋島、壇ノ浦と天才的な軍事力を発揮して平氏を滅ぼします。


平家を滅ぼした勲功第一の義経でしたが、兄頼朝の許しを得ずに朝廷から冠位を受けたことで、勘気を被ります。

 

頼朝と対立した義経は、西国行きを図り船出しますが、大嵐のために押し戻されてしまいます。


頼朝は、義経追捕の令を全国に発するため、朝廷に守護地頭の政を認めさせます。


義経は、追捕の目をかいくぐって奈良の吉野から、その後奥州の藤原氏のもとに姿を現します。


再度、奥州平泉の藤原秀衡を頼った、義経ですが秀衡が病没すると頼朝の命により秀衡の嫡男泰衡に襲撃され討ち取られてしまいます。


その後、頼朝は、奥州藤原氏を攻め滅ぼし、日本全土を平定し鎌倉幕府を開きます。


義経が、平泉で藤原泰衡に討ち取られたという正史とは別に、実は北に逃亡したという義経北行伝説が、現在になっても強く残っています。


当時の奥州平泉の地から陸奥を経て津軽の地まで、義経北行の伝承は数多く、そして整然と残されています。

 

源義経(みなもとのよしつね)
1159~1189年 享年31